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はじめに
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全ての霊的な教えの要になる精神。

それが「無私」です。

プラス思考や他人に親切にすることなどの行為は、この「無私」の精神が根底にある時に、ごく自然に行われる行動です。

あらゆる秘教の教えにおいて、最終的な精神の到達点はここにありました。

東洋においてはこれを「固我を捨て、真我を得る」という言葉で知られていますし、西洋においては、「仮面を捨て、霊へと到り、神と合一する」という表現で知られています。

私たちはとかく、自分中心に物事を考えがちです。

人から愛されることにも、憎まれることにも心を騒がせ、自分を根底から揺るがす一大事のように考えてしまいます。

自分が何をする、自分が何をしないという選択についても、自分がその選択によって死ぬか生きるかのように重く考えすぎてしまいます。

自分が栄誉を受ければ、いつまでもそれを自慢の種にします。

自分が恥辱を受ければ、いつまでもそれを恨みに思います。

「自分」にあまりにも執着しすぎているのです。

そのため多くの人は精神的に盲目になっています。

霊的な感性は盲目の精神の中では生まれません。

盲目の精神は私達にとって本当に大切なものは何かを悟る機会を奪ってしまいます。

私達の悲劇は失ってはじめて失ったものの尊さに気付くことです。

その悲劇はいつでも私達の愚かさ、「自分」に盲目になってしまうことから生まれます。

それは私達の醜さの核でもあります。

魔術師はこう言います。

「生きることの本質は『虚しさ』にある。私たちは永遠に生き続けられるわけではない。

名誉も富も財宝も、死んでしまえば何にもならない。

『自分』だってこの大きな世界では砂の一粒より小さなものだ。いつかは消えてなくなる。

そんなものに執着して、そんな虚しいもののために戦って一体何になる。

私たちは本当に大切なもののために、この人生を使わなくてはならない。

それはいつか消えてしまう『自分』や『名誉』や『富』のためではない。

本当に大切なもの。それは『世界』だ。

私たちより遥かに大きく、私達の大いなる源であり、全ての美しさの集合体であるこの『世界』のために、私たちは生きなくてはいけない。

私たちはその大きな存在の一部であることを悟らなくてはならない。

つまらない『自分』を捨てた時(これを『虚になる』といいます)、私たちははじめて世界とひとつになれる。

そうなった時、はじめて私たちは本当の『私』を知ることが出来る。

本当に大切なものに目を向けることが出来る。

美しさと調和することができる。

つまらない『自分』がないから、つまらないことで傷つくことも苦しむこともない。

小さな『自分』がないからあらゆる調和の中で生きることができる。

そうした精神こそが、私達の本当の精神であり、これこそが本当のプラス思考であり、これこそが生命の本質だ。」

私たちは「自分」を捨てたとき、自身の「霊」へと到達します。

本当の「自分」に立ち返ることができます。

そこにあるのが私達の本当の意味での個性です。

またここに到った時に、はじめてあらゆる美しいとされる生き方が、ごく自然と、当たり前のこととして行うことができるようになります。

自身の霊が自在に働くようになるから、あらゆる霊的感性が鋭くなり、面白い不思議な体験もできるようになります。

難しいことはありません。

ただ、ごく自然に、自分へと立ち返れば良いのです。

精神を落ち着かせ、ゆったりと呼吸し、自分を一時的なりとも忘れてみてください。

一時間でも構いません。あれこれと思い悩むのをやめて、あるがままに物事を眺めてみてください。

何の批判も加えず、物事をそのままに受け入れてください。

自分の中に確かな変化が生まれるのがわかるはずです。

暖かさと調和で自身の全てが満ちていくのがわかるはずです。

私達の苦しみは、不調和と盲目から生まれます。

私達の喜びは、調和と真実から生まれます。

「無私」さえ完全に身につければ、私がみなさんにお教えできること、お手伝いできることは何もありません。

あとはみなさんの本質が、おのずとみなさんにとって必要なものへと導いてくれるでしょう。

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